女好きで職を追われたロックンロールな恩師の話

女好きで職を追われたロックンロールな恩師の話


故・忌野清志郎さんがボーカルを務めたRCサクセションのナンバーに『ぼくの好きな先生』という、フォークソングがある。

初期のRCサクセションはロックンロールバンドではなく、アコースティックなフォークグループだった。

そしてこの『ぼくの好きな先生』はタイトルの通り、キヨシローが高校時代にお世話になった恩師のことを曲にしたもので、もちろん歌詞はその先生のことを歌っている。

これを読んでくださっているみなさんの思い出の中にも、1人くらいは忘れられない教師がいるのではなかろうか?

あるいは、まさに今、そういう先生がいる学校で学生生活を送っているかもしれないし、これから送ることになるかもしれない。

かくいう私にも、この曲を聴くたびに思い出す先生がいる。

厳密には、もう「先生」ではないのだけれども。

不審者めいた出会い

私が初めてギターを手にしたのは、もうすぐ中学3年になる春だった。当時、東京事変を率いていた椎名林檎嬢にあこがれて、ほとんど衝動的にお年玉でエレキギターを購入したのだ。

その時、特に好きだった『群青日和』の楽譜を買い、ひがな一日、どうしたらFコードを抑えられるようになるのかと、指をひりひりさせながら悪戦苦闘していた。

効率よくうまくなるための練習方法なんて知らなかったから、たしか1年くらいかけてその曲だけを弾き倒していたと思う。あの頃の、好きなものにかける情熱たるや尋常ではなかった。若さゆえのなんとやらである。

そうして高校に入学する頃にはFコードの壁を乗り越えた私だったが、相変わらずギターソロがうまく弾けずヒーヒー言っていた。

これは今だからこそ冷静に分析できるのだが、私には壊滅的にリズム感がなかった。たぶんそれが原因だと思う。哀しいかな、それから10年近く経った今もリズム感はない。

話は戻って高校1年生、バンドを組んでみたいなぁなどと淡い期待を抱きながら新入生として生活していたある日のことだ。

「おまえ、音楽やってるだろう」

突然、50代くらいの知らないおじさんから声をかけられた。現在だと見事な事案発生である。

話を聞けばうちの学校の先生だったので安心したものの、こちらとしては学校の外だったので全く分からなかった。向こうは、私が着ていた制服で判断をしたらしかった。

「楽器は何だ?ボーカルか?ギターか?ベースか?」

私の『ぼくの好きな先生』との出会いは、そんな感じであった。

与えてくれた影響

先生から矢継ぎ早に飛んでくる質問を遮って、なぜ私が楽器をやっていると判ったのか訊けば、見れば分かるんだよ、と、うさんくさい占い師のような答えが返ってきたのを覚えている。

だから、なぜ私に話しかけたのか未だにわからない。いつでも直感で生きているような人だったので、本当にただの勘で声を掛けられた気もする。

「おまえにはブルースが似合う、ブルースギターを弾け」

とにかく先生は、調子のいい語り口で私を丸め込んでしまった。

そのころ私が好きだった音楽は、邦楽ではBARBEE BOYSYMOP-MODELなんかを中心に、洋楽だとTHE POLICEとか、例外はあれど、おおかたニューウェーブに片足突っ込んだジャンルばかりだった。

特に細野晴臣さんが大好きだったので、音楽のジャンルに対して固執したり、抵抗があったりすることはなかったらしい。流行りの曲を除いては。

今では小っ恥ずかしいが、当時は斜に構えていたい時期でもあったから、流行りのロックバンドを追うことはしなかった。バンプとかアジカンとか、今聞けば素直にいい曲だなって思えるのにね。

そして、小宇宙のような細野さんの音楽は今でも大好きだ。

当時すでに細野さんのルーツを遡って、ソウルミュージックに関しては、ファンク方面の有名所を少し齧っていたと思う。James Brownとか。

だからルーツミュージックとしてブルースを先生から語られたとき、わりとすんなり食い付けたし、B.B. King、Stevie Ray Vaughan、Eric Claptonなど、薦められたアーティストの作品はすぐに知識として吸収した。

教えられた数名のギタリストを皮切りに、Muddy WatersHowlin’ Wolfなど、私はチェスレコードのアーティストが好きになった。

そして私はブルースを弾き始める

ブルースギターを学び始めるのは簡単だった。3コードを繰り返して12小節、展開の決まっているジャンルだったから。

ただし16やそこらの小娘が、平和な日本でブルースを歌えるほどの人生を背負っているわけもなく、なかなか難しいことを要求されていたなと今になって思う。

先生がプライベートでやっていたバンドのライブを見せてもらったとき、突然ステージへ上げられたのはめちゃくちゃ困った。焦った以外の記憶がない。何を弾いたんだろう。

2回り以上も世代の違うメンバーに囲まれて楽しそうに楽器を演奏している先生を見て、すごく憧れを抱いたことは覚えている。

テキトーな教師

神出鬼没な先生だったので、こちらから会いに行ったところで教科準備室にいつでもいるわけではなかった。

その割には向こうから、私のところへひょいひょい顔を出しに来た。クラスで話の合う友達もいなかった私は、その先生と関わるのだけが楽しみで高校に通っていたフシがある。

うちは父親との関係もあまり良くなかったから、当時は子供として本能的に、年上の男性へ父性を求めていたんだろうとも思う。

学校行事の準備をサボっては先生のところにダベりに行き、音楽の話をしていたこともあった。持ち場に戻れと追い返すこともなく、私の話に付き合ってくれた先生がちょっとした救いだった。

青春は消えた

バンドマンにありがちな、めちゃくちゃ女好きな先生だったが、決して悪い人ではなかった。教師としては失格だったのかもしれないけれど、音楽の恩師としては立派だった。

けれども現実は非情である。

私が卒業する直前に、先生の方が先に学校を辞めてしまったのだ。

性格が災いして、当時受け持っていた生徒から良からぬ噂をでっち上げられたらしい。

辞任の挨拶もなく、突然姿を消した。

そのあと連絡を取ることもなく、お互いに、どうしているのか全く知らない。

話上手で人付き合いの多い先生だったから、とっくに私の事など忘れてしまっているだろう。まだ、どこかでバンドを続けているかもしれない。

一方、私は私で精神的に体調を崩してしまって、音楽やギターを悠々と楽しめる状態ではなくなってしまった。

それでもまだ、ふとした時にブルースを聞きたくなるのは、あの時の先生との思い出が、うまく消化しきれぬ私の青春だからなのだろう。

まだドラム叩いてますか、先生。

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ひたすら90年代の宝塚歌劇を愛する。文章を書くのが好きな20代。身体は女性、性自認は中性なXジェンダー。恋愛対象は女性です。パニック障害とうつ病を克服中。